八世 天威大祐大和尚
 八世大祐は、仁叟寺の末寺である八束山観音寺(吉井町神保)の開山である。法嗣である九世壽朔の、勧請開山である可能性もあるが、正確な開山時期は不明である。八束山観音寺は、仁叟寺のある神保と同じ大字であるが、これは観音寺の寺領がすべて神保の飛び地となっているからである。羊太夫の護持仏である千手観音を祀った寺院で、創建は古いが、大祐によって洞門寺院かつ仁叟寺の末寺となった。九世壽朔の開山した龍源寺と同様、修行寺としての側面を持ち、観音寺住職を経て仁叟寺住職となる例が多くみられる。

 在山中の寛永三年(一六二六)四月一五日に、当地の旗本である倉橋内匠忠勝より、制札が出されている。同年一一月には、中興開基である秋山家の帰依を受け、墓所が当寺に建立された。

 寛永一三年(一六三六)三月一二日、遷化。