六世 萼洲宗嫩大和尚
 宗嫩代は、奥平信昌・亀子夫妻、菅沼定利といった外護者の寄進を多く受けている。天正一八年(一五九〇)の徳川家康の関東入城に伴い、奥平信昌は富岡宮崎城主(三万石)、菅沼定利は初代吉井藩主(二万石)となった。

 なかでも、家康長女である亀子夫人は信心篤く、奥平家菩提寺であった仁叟寺に、「寺領三千疋」を寄進した。また、文禄元年(一五九二)の菅沼定利寄進状などが残されており、当寺は外護者の帰依を受けていたことがわかる。

 慶長二年(一五九七)一〇月一〇日、遷化。