五世 海雲存珠大和尚
 五世存珠は、末寺の正應院(吉井町河内)、同じく寶福寺(吉井町多胡)を開山した。残念ながら、両寺ともに廃寺となっている。

 向陽寺文書には、天文二三年(一五五四)一二月一三日に出された、師僧四世道巖から存珠への印可状が残されている。この文書により、天文二三年以降の遅くない時期に、存珠が仁叟寺へ晋山されたと考えられる。

 存珠在山中と思われる永禄六年(一五六三)五月一六日付の当寺文書に、「前能登入道」より出された制札がある。なお、この年は四世道巖と縁のある武田信玄が、吉井の各城を攻略した年でもあった。

 師僧四世道巖の遷化年代と異なるが、印可状や遷化時期などから推察すると、存珠は、約三〇年ほど仁叟寺住職として法燈を護持したと考えられる。また、永禄一二年(一五六九)六月一〇日付の制札が残されている。

 天正一七年(一五八九)八月二四日、遷化。