二四世 悦山黙笑大和尚
 末寺である龍源寺一八世をつとめたのち、仁叟寺二四世として晋山。雙林寺文書「三法幢会地入院披露年月留」には、天保四年(一八三三)九月一日に晋山の披露を雙林寺に行っている記録がある。次代二五世祖英は、同一一年(一八四〇)一〇月三日に晋山の披露を雙林寺に行っている記録があるので、在山期間は約七年ほどであった。

 先代二三世瑞林は、黙笑在山中の天保九年(一八三八)五月二一日に遷化した。

 また「三法幢会地入院披露年月留」の中に、「天保六年(一八三五)夏請首座」と記されている。同年夏の雙林寺においての結制に、仁叟寺より首座を派遣したものと思われる。

 退董後、黙笑は、越後国刈羽郡鯨波村(新潟県柏崎市鯨波)の妙智寺二三世として転住した。「天保十三(一八四二)年壬寅五月二十二日 越後国頚城郡高田太岩寺証明書」が、仁叟寺文書に残されており、その転住の際のものであると思われる。また、二六世學禪から続く越後国からの仁叟寺住職の流れは、黙笑がその源にあると思われる。

 慶応元年(一八六五)五月二九日、妙智寺において遷化。